かつて一杯210円!「ラーメン二郎の暗黙のルール」は親父さんへの感謝から派生した?
2023年5月 月間751,120 PV(アクセス数)
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B級1人グルメ中心でコスパ重視。ラーメン、カレー、とんかつ、寿司が大好きですが、好き嫌いなく美味しいものなら何でもOK!
独身中年おやじ。大阪→横浜→ロンドン→武蔵小山→小田原→西大井→大井町→国分寺
職業:英語講師 (英検1級、通訳案内士)、元翻訳者、元富士通
特技:将棋(将棋倶楽部24六段) 趣味:旅行、料理、お笑い好き(千鳥、かまいたち、オズワルド)
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ラーメン二郎の「暗黙のルール」が世間一般に浸透するにつけ「マジ?」「面倒くさい」「信じられない」といった否定的な意見もたまに目にします。
学生時代は三田の本店に1軒しかなかったラーメン二郎で育った自分。最初こそ暗黙のルールがあること自体びっくりしましたが、すぐに慣れて当然だよなと思えたものです。
1990年頃、当時でもラーメン二郎のラーメンは破格のボリュームだけでなく、破格な価格でした。これが二郎暗黙のルールに大いに関係していると思われます。
今回の内容
ラーメン二郎 自分の学生時代は一杯210円から
自分が最初に二郎に行ったのはいつだか正確に覚えていませんが日本がバブル景気にわく1980年代後半でした。
はっきり覚えているのがラーメン一杯が210円という価格。当時はまだラーメンは500円以下で食べられる店も多数ありましたが、この価格は全然なかった。しかもとんでもない量です。
当時学生で一番人気だったのは大ダブル350円。腹ペコ学生はこれを頼む人が一番多かったはず。自分も小銭350円を握りしめて何度もこれを食べに訪問しました。
大は大盛のことですが、体感で500gくらいありました。ダブルは豚のダブルという意味で大きな肉の塊が5切れほどのっていたでしょうか?
当時は現在の三田本店の場所でなく、慶応大学の手前三田二丁目交差点近くにありました。
当時の貴重な映像をYouTubeで見ることができます。
動画は1992年ものですが、ラーメンは値上げしたとはいえ300円。
親父さんこと山田拓美店主と奥様の山田康子さんの姿を見ることができます。当時の人気アナであった逸見政孝アナに親父さんが軽口を叩いている様子がありますが、いつもこんな感じでした。
とにかく開店の10時から品切れで閉店する15時頃?までずっと行列でおやじさんは一時も休む暇がなかったと思います。
もちろん、奥様の康子さんも同様。
この状況で、いつも大ボリュームの美味しいラーメンを破格の値段で提供してくれる店主の負担を少しでも軽くしようと学生から自発的に始まったの思われるのが「暗黙のルール」です。
今も伝わるラーメン二郎 暗黙のルール
食後に丼をカウンターの上に上げ、用意された布巾で自分のテーブルを拭いて退店
最初に訪問した時にこれを見た時は驚きました。当時客が自ら食後に丼を上げるなど二郎以外で見たことはありませんでした。
ただ客がテーブルを綺麗にして退店するので次の客はすぐに着席することができます。すごく合理的。
店にとっても丼を上げる負担が減るだけでなく、回転を速めることで客の待ち時間は減るので双方にWin-Winと言えます。
連れがいても空いた席から順番に座る。食べ終わったらすぐに退席。
複数名でラーメンを食べる場合、連れ同士で隣同士で座れるようにしてくれる配慮してくれる店も多いと思いますが二郎には一切ありません。
これも回転を速めオペレーションを簡略にするため。
自分も最初の頃は友人と訪問していたので、先に食べ終わった奴が交差点の前で待ち全員揃ってから感想を言い合うのが常でした。
なお、常に大行列があるので圧があり、言われなくても食べ終わるとすぐに出ないといけないという空気は充満していました。特に誰かに言われて学んだことではありません。
提供直前のコール (無料トッピング)
二郎系と言えばコールと言われる無料トッピングが有名。提供直前に「にんにく入れますか?」と聞かれたらヤサイ、ニンニク、アブラ、カラメなどというものですね。
簡単に言うとヤサイは野菜増し、ニンニクはデフォでは入らないのでニンニク追加、アブラは背脂、カラメはタレ増しでしょうか?
当時はここまで正確に分かっていなかったので皆の真似をして「ヤサイ、ニンニク」と言うことが多かった。
コールしたものを提供直前に追加してくれるのですが、このタイミングで自分のお好みと言うというのは今でも二郎独特ですね。
ただ直前のタイミングで言うことにより、作り手は余計な記憶をすることなく間違えることなくラーメンを提供することができます。
なお、当時は券売機がなかったので、山田店主が麺を茹でる直前に「大?小?」と麺量だけを最初にを聞かれるのも暗黙のルールでした。
当時存在したラーメン二郎 暗黙のルール
今述べた通りと当時は券売機がなかったので自分が食べるラーメンの小銭をきっちり事前に用意するというのも暗黙のルールでした。
「ちょうど置いておきます」と一言言ってカウンターの上に小銭を置いて店を去るのがよく見られた光景です。
もちろん、知っていてもうっかりすることもありますよね。そもそも初めて訪問する人はそのルールを知らないし。
ただ、1,000円出してお釣りをもらうのはともかく、5千円札や1万円札しかないと汗が出ました。
その際は客は申し訳なく康子さんに両替を頼むことになります。もちろん無言ですが周りの冷たい視線を感じることになります。
結論 当時とは前提が違うのが違和感を感じる原因かも
これは自分だけなく周りの皆が感じていたことですが、ラーメン二郎の暗黙のルールは美味しいラーメンを当時でも破格な値段で提供してくれ、休みなく働く山田店主や奥様への感謝の気持ちから生じたものだと思います。
現在のラーメン二郎は相対的に一般のラーメンよりは安いですが、そこまで激安の感じはありません。また二郎系のラーメン店はデフォで1,000円を超える店も出てきました。
「ここまで安くてありがとうございます」という値段に感謝する感じは薄れていると思います。
現在も多くの二郎の支店および二郎系の店は初代ラーメン二郎の暗黙のルールを受け継いでいます。
自分は何も気にならないというか、若い頃に身についた習慣なので違和感がないというか自然に思えます。
ただここに書いたような当時の特殊な状況、特に破格の安いラーメンだっという事実を知らない若い層にはラーメン二郎のルールの一部に違和感を感じるのも無理はないのかな?とも思います。
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